11月3日に発表された生存者叙勲における元自衛官の処遇に違和感を覚えた。元陸上自衛隊北部方面と東部方面の総監(陸将)、空自の航空総隊司令官(空将)といった元将軍たちが受章したのは瑞宝中綬章だったことに、である。
叙勲とはそもそも、自己を犠牲にして国家・社会に尽くすような行為を評価するために存在している。自衛官は入隊時、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め…」と宣誓する。
国家の命令があれば、どんな危険な任務に対してもしり込みせず、国家・国民の負託にこたえる。このことは東日本大震災での救援や原発への放水作業などで国民の目に焼きついた。国家が適正に評価しなくてはならないのは、自分を犠牲にして公共のために尽くした行為だ。。それがなければ、国家への忠誠心が薄まるのは避けられない。
米国では最高位の勲章は現役の軍人だけが叙勲対象であり、大統領でももらえない。しかし、日本国はそうした栄誉を自衛官に授けようとはしていないのである。
今回最高位となった桐花大綬章は河野洋平元衆院議長に授与された。大綬章は5人、重光章は45人。それに次ぐ中綬章は353人。元将軍たちと並び、各大学名誉教授や各省庁の局長経験者などが名を連ねる。
背景には制服組トップの統合幕僚長ですら、任免が天皇から認証される「認証官」として処遇されていないことなどもある。憲法で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とうたっていることも関係している。
栄典制度は平成15年、勲一等、二等など数字による等級を排し、危険な公共業務に従事した人たちの功労を評価するなどの改革が行われたが、もっとも重要な「国家がどのような行為を尊い行為として考えているか」はあいまいのまま放置されてきた。その基準を明確に示すことができないこと、いわば国家の背骨の欠落が日本の迷走と混乱の一因ではないか。


by izayukan1950
国家の背骨が欠けてないか(元…